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─5─ 出陣

Author: 内藤晴人
last update Last Updated: 2025-05-06 20:30:58

「将軍、聞いているのか?」

ついに大公はしびれを切らしたようだ。

乱暴に椅子を蹴り立ち上がると、やり場のない怒りを表すかのように荒々しく両の腕を眼前に振り下ろした。

そして、先程から彫像のように身じろぎ一つせずひざまずいたままのロンドベルトを、ぎらぎらと光る瞳で見下ろす。

なるほど、結局この人はこの程度の人物かか。

言うなればあの大臣と同じく、権力こそ至高と信じて止まない愚か者。

似たもの通し、さぞや大臣と話があうだろうな。

内心そんな不敬なことを思いつつ薄笑いを浮かべて、ロンドベルトは今一度深く頭を垂れながら言った。

「では申し上げます。私は殿下と同じ物を見てきた。そう思っております」

「……同じ物、だと?」

どうやらロンドベルトの返答は、大公の想定外の物だったらしい。 わずかに首をかしげると、大公は腰に手を当てる。

白黒の判断を下しかねているその視線を痛いほど感じながら、ロンドベルトは静かに告げた。

「戦いのない、平和な世界でございます。すなわちそれは……」

「統一された大陸……」

「御意」

ロンドベルトは 短くそう答えたが、嘘はついていない。

実際、ロンドベルトは自らの運命を翻弄した戦を憎んでいた。

戦という存在を、この世から葬り去りたいと思っていた。

『大陸の覇権』とやらが誰かの手に収まれば、それを巡る争いは終わる。

問題はそれを手にするのは誰か、ということである。

ロンドベルトは、今その点に関しては言及していない。

極端なことを言ってしまえば、ルウツ皇帝がそれを手にしても構わないし、あるいは全くうかがい知れない第三者でも良いのである。

大公から、お前は統一された世界を望むのかと問いかけられたので、『是』と答
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